ラブライブとアイドルマスター その2 中編

kage

2013/10/06 (Sun)

さて今回は「なぜラブライブの人気がここまで出たのか?」ということについて
みていきたいと思っています。もちろん、アイマスと比べる視点で、ですね。


「ハードル」の高いアイマス

周知の通りアイマスは今年で8年目。アーケードから始まり、家庭用、携帯機用、
アニメ、ソーシャルと様々な展開を見せてきたわけで、そこには確かな歴史があります

その歴史というのは当然武器になり、ここまで展開してきた様々なチャネルから新規ファンが
入ってきて、プロデューサーとなっていく、という形がとれてきたと思います。

しかしその「歴史」は諸刃です。長く続くコンテンツならどこにでも起こりうる
「古参/新参」という壁が生まれてしまう、この問題がアイマスにも発生するわけです。

もちろん古参が悪いとかそういうことではないですが、古参がアイマスにかけてきた
時間であり、金であり、そして愛というものは、傍から見れば当然「重く」見えるわけです。
この重みは、決して一朝一夕で追いつけるものではありません。たとえゲームを全てやっても、
CDを全部買っても、それだけでは追いつけないほどの歴史がそこには存在してしまう。

「アイマスは人生」のフレーズが示す通り、これまでの様々な展開に対し、プロデューサーは
ときに笑い、ときに泣き、ときに怒ってきました。こうしたリアルタイムでの歴史と言うのは
どう足掻いても後からは追い掛けようのないもので、どうにもならない壁にもなってしまう
のです。

そういった歴史を生きてきた古参を前に、新参は決して大きな顔をしたり、大きなことを言ったりは
できなくなる空気はどうしても発生してしまう。アニメ化から既に2年が経っているわけですが、
未だにアニメからのPが自身を「新参」と称するのはこれがあるからだと考えられます。

私としては、MAFの「社長訓示」を聴けばそんなくだらない垣根など全て取り払える
と思えるわけですが、それにしても「MAF」自体聴かなければいけないわけで、
それ自体がまた一種のハードルになってしまう、ということも起きてしまいますし、
現実的な感覚として、それだけで時間という壁は早々崩せるようなものでもないのもまた事実です。

この歴史がある故に生まれてしまった構造に怖じ気づき、どうしてもアイマスに入ってこれない、
高いハードルを感じてしまう、という人も決して少なくはない
と思います。

そしてそういう人を救う救済策が如く登場したのがラブライブではないか…と思うのです。


「ハードル」の低いラブライブ

ラブライブは「電撃G's magazine」を中心としたコンテンツで、2010年から始動しました。

1stシングルが初週僅か500枚程度しか売れなかったなど、散々なスタートだったようですが、
声優陣や楽曲のPV等を前面に押し出す姿勢などで徐々にファンを拡大。

そしてコンテンツ開始2年半の段階でアニメを放映し、その人気は爆発。
このタイミングでの初のベストアルバム発売などで、一気にファンをつかみました。

この早期のアニメ化というのは、コンテンツ開始時点で決定していたのかどうかは
知りませんが、タイミングとしてはベストとも言えるものだったと思われます。

「アニメ」というチャネルは現在の「ネットで動画を見る」という形が定着してからと
いうもの、それ以前の「深夜アニメ」にあったハードルがはっきりと、一気に下がり、
誰にでも触れやすい、非常に手軽なものとなったように思えます。

一方で「ゲーム」は、ソシャゲーを除けばきちんと金を払って購入せねばならず、
特に家庭用であれば、プレーすること自体にも多少のハードルが生まれてしまう。
アニメよりも能動的なチャネルであるが故、手軽さはどうしても落ちてしまうのです。

アイマスがあくまでも「ゲーム」を軸とし、それ自体にハードルがある中で、「アニメ」に
より重心を置いたラブライブは、もうそれだけで「ハードルが低い」
ものとなるわけです。

そして前述したように「タイミング」もまた絶妙で、この段階でアニメをきちんと見て、
ベストアルバムを聴いておけば(アイマスと同じ意味での)「新参」にはならない
という構造がきちんと出来あがったように見えるのです。

アイマスはアニメを見ただけではその全体像のごく一部しか触れたことにはなりません。
ベストアルバムだって、これから現在発売中のシリーズを全て買っても全くその厖大な
楽曲を網羅したとは言えない、というような状況になってしまっています。

一方で、ラブライブはアニメを見て、ベストアルバムを聴けばとりあえず「古参」に
ある程度は追いつける
、というようになっているように私には思えます。

もちろんラブライブにも他にたくさん展開があって、それらにどれだけ触れたか、というところに
ある程度ハードルのようなものはあるでしょうが、それでもアイマスほどではないはずです。


「二匹目のドジョウ」はいた

アイマスのプロデューサーになりたかったけどなれなかった人、あるいはアイマスの多様な
展開についていけなくなった人、タイミングさえ違えばアイマスのPになっていたはずの人、
そんな色んな人をラブライブは拾い上げることができた、だからここまでになったのだと思います。

もちろんこれにはラブライブというコンテンツ自体に魅力がなければ無理だった話で、
きちんと拾い上げるだけの力が存在した、ということが非常に大きくあるのは確かです。
しかし、やはり同じ「アイドル」を扱うコンテンツで、先発のアイマスに追いつくのは、
それだけでは難しかったはず。コンテンツの展開のうまさ、というのがそこにあったのでしょう。

「二匹目のドジョウ」という表現はラブライブというコンテンツ、そしてラブライバーに
失礼にあたるかもしれませんが、「アイマス」という「二次元アイドルコンテンツ」の
土壌がなければ、ここまでのスピードでここまで展開できなかった
、と私は思うのです。

また、プロデューサー兼ラブライバー、という人もたくさんいるはずですが、
その両方をしっかりと兼任するというのは簡単ではないでしょう。その結果どうしても相対的に
「軽い」ものになりがち
なはずで、前述したようなPの「重さ」には及ばないものになってしまう。
そういう姿勢が悪いということではないですが、このあたりについてはアイマスにおける
「プロデューサーとファンの違い」というナイーブな部分に抵触してきてしまうと思います。
この「P/ファン」の違いについてはいずれ別の機会にするとして、次はラブライブの魅力について。
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