「アイマスらしさ」とは何か 前編

kage

2014/09/04 (Thu)

「アイマスらしさ」の定義

「世代交代」の記事において、私はミリオンに対し「765イズム」という言葉を使用しました。
これは公式で使用されている言葉ではないし、P側からの造語としても、決して広く多く
使われている言葉ではないと思います。しかし言葉があらわす意味というものは
恐らく多くの方が理解できるようなものなのではないかと思い、あえて使用しました。

本来であれば、というか旧来であれば「アイマスらしさ」という言葉を使いたかった
ところではあるんですが、これはもう現状では当てはまらない、と判断したうえです。

なぜ「アイマスらしさ」という言葉を使えないかというと、それは言うまでもなく
シンデレラもまた「アイドルマスター」の一員であって、それは紛れもない事実だからです。

ではそのシンデレラも含めた現行の「アイマスらしさ」とは何か、ということについては、
既に公式から答えと言って良いものが出ています
。その答えが出ているのは、
これもまた「アイマスFebri」における石原さんのインタビュー記事の内容になります。

「『アイドルマスター』はこうでなくてはいけない、という風にしたくないんです。『新キャラは、
こんなキャラでなくてはいけない』とか『IPとしてこんな展開をしてはいけない』という
ルールは全然決めていないです。(中略)僕の中で唯一ある柱は、プロデューサーがいて
アイドルがいるという関係性と、プロデューサーとアイドルの距離感です」


アイマスにおける最高責任者である石原さんがこう明確に述べている以上は、
これこそが「アイマスらしさ」である、と断定するに十分であり、否定しようもありません。

この定義に則して考えると、当然シンデレラもアイマスらしく、SideMさえもそうなるはずです。
ここからズレているものがあるとすれば、それは876プロ、ということは一つ言えます。

876プロ、DSのストーリーにはプロデューサーはいません。正確には絵理のシナリオには
尾崎というプロデューサーがいますが、彼女はプレイヤーキャラクターではありません。

DSの3人のシナリオはいずれもプレイヤーキャラクター=アイドルであり、これは他の
展開とは決定的に異なっていて
、上述の「アイマスらしさ」からやはり外れたものです。

だから今現在876の展開がなされていない、なんてことは決してないと思いますが、
いずれにせよ876だけが特殊で、他4展開はいずれも「アイマスらしさ」は十分なわけです。


シンデレラガールズの「アイマスらしさ」

とはいうものの、シンデレラが初めて世に出てきたとき、「これがアイマス?」という
違和感を持った人は決して少なくないと思います
し、私ももちろんそうでした。

その理由は多数あって、例えば単純に765の13人以外のアイドルという存在そのもので
あり、あるいはそのアイドル達の過剰なまでの個性であり、あるいは765が捨てたはずの
総選挙という名の競争システムであり、といったあたりがそこに当てはまってくるはずです。
しかしながら上述の定義の上では「アイマスらしさ」を十二分に持った展開でもあるのです。

それどころか、公式側が本当は765でやりたかったけれどもやれなくなったことを
シンデレラで今やっている
、そんな風に感じ取れる部分すらもあると私には感じます。

そもそもアイマスはアーケード時代は、現在の「団結」路線とは反対の「競争」路線でした。
しかしながら360への移植、ニコニコ動画でのブームという流れの中で、「競争」から
「団結」へとシフトチェンジが図られていくことになりました。なぜそうなったかの理由については
明確なものはわかりませんが、当時Pの「古参」と「新参」間に「競争」というよりは「衝突」と
呼ぶべき事態が発生していて、その流れがコンテンツそのものとして望ましくない、ということが
あったのではないかと思います。だからこそ公式側から「団結」路線に入り、その象徴として
楽曲「団結」を、そしてメッセージとしてMAFのトークパート「社長訓示」を出した
はずです。
この辺の「団結」に話についてはもう少し細かく私は以前書いています

その後SPの美希の離脱やCD売上競争のような話で紆余曲折もありましたが、新キャラである
貴音も765に加わる、という流れでさあこれから、というときに「2」「9.18」が起きました。

「9.18」の話は細かくはここでしませんが、その中でここで大事になってくるのは、CD発売の際に
競争原理が再度取り入れられようとした、ということです。つまりは公式はやはり「競争」を
やりたかった
、ということになります。結局はP側の猛反発もあり、事実上の企画倒れに
終わったわけですが、公式側が「競争」の意識を捨てていなかったのは一つ大きな事実です。

そしてその「競争」を大々的に展開しているのがシンデレラ、ということになるわけで、
つまり「765でやりたかったけれどもやれなくなったこと」をまさに実践しているわけです。

これをどう捉えるか、というのはまさに人それぞれで、360からのPの私は実際にアーケード時代の
「競争」は体感していないし、それをアイマスに求めていないから、私はシンデレラのこの展開を
否定しています。一方でアーケードからのPでシンデレラを現在やっているという人も少なからず
いるわけで、そのP達からすればその「競争」を求めていた
、そういうことにもなるはずです。

そう考えればシンデレラこそがある意味「原点回帰」であり、「公式側の理想」でもあり、
本来の「アイマスらしさ」の象徴
、なんてことすら言えるのかもしれません。

続きます。
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