「アイドルマスター XENOGLOSSIA」とは何だったのか? 後編

kage

2014/09/25 (Thu)

多様な展開と失敗と

今作の世界線を決して一回限りのお遊びで終わらせようとしていたわけではない、
「PROJECT IM@S」の一角としてしっかり据えようとしていた、と言える理由としては、
アイマス本編にも勝るとも劣らない各種多様な展開がこのゼノグラシアでもなされていた
ということがあげられます。つまりは各種メディアミックス、ということです。

音楽CDはもちろんのこと、ドラマCD、漫画、小説、さらにはラジオまで放送されていた
状態であり、これ単独でも立派すぎるほどの展開が広げられていたわけです。

うちラジオについては1年近く続くなどもしたようですが、結局のところのこのゼノグラシアと
いう展開自体に対する評価が厳しく、このラジオが終了する08年頭頃までには各種展開も
全て終了することとなり、それ以上何もなされることがなくなった、ということになりました。

要するに展開として失敗したから切り捨てられた、という話であり、その後アイマスが
ここまで異彩を放った展開をすることもなく、「アイドルの物語」だけに収束していきます


万に一つゼノグラシアが「成功」を収めていたのならば…今現在の「アイドルの物語」とは
異なった「アイドルマスター」が展開されていた可能性は十分あるでしょう
。確かに
「人気声優」「推していきたい声優」が名を連ねた展開では今のようなライブ・イベント展開が
できず、そもそもライブそのものは「アイドル」でない以上やらなかったかもしれませんが、
別の方向性で、例えばアニメ二期なんて形なら十分展開のしようはあったはずです。
しかしもしそちらのほうが「アイドルマスター」のメインに据えられるようなことがあったならば、
それは有象無象のアニメ作品と大差なく、早々に終わるコンテンツにもなったはず。

アイマスがそんなことにならなかった、ゼノグラシアが明確に否定されたのは、もちろん原作が
アーケードゲームで、そこから360に移植した流れがメインだから、というのが大前提で、
このゼノグラシアのような展開をファン(P)はアイマスに求めていなかった、ということです。

それはつまり「アイドルマスター」とは「アイドルの物語」であり、「アイドルとプロデューサーの
関係性」である、要するに現在の「アイマスらしさ」である
、ということが求められた、
とも言い換えられる事でもあります。大事なのは「アイドルマスター」という言葉でも、
「アイドル」という言葉でも、「天海春香」という名称でもない、ということですね。


XENOGLOSSIAがアイドルマスターにもたらしたもの

今現在この展開は全くなされていないという事実を見れば、「何ももたらしていない」と
言うことはできるかもしれません。アイドル達のキャラ設定などを引き継いだ部分もなければ、
ゼノグラシアオリジナルキャラが出てきたということもなく、楽曲が使用されたこともありません。

しかしながら、アイマスの公式ホームページがリニューアルされた際にゼノグラシアが「アニメ」の
ページに掲載されたように
、完全に歴史から抹消したい存在、というわけでもないはずです。

それこそ、アニメにおける「無尽合体キサラギ」はまさにセルフパロディとも呼べるもので、
L4Uのアニメ段階から「ロボは?」などとネタ的に言われ続けてきたことを逆手にとっての
演出であったともいえ、その意味では最大限の有効活用をしているとも言えます。

あるいは、ごく少数かもしれませんが、ゼノグラシアからアイマスの世界に足を踏み入れた
Pだっているかもしれず、そうした層の「入口」を歴史から抹消するわけにはいかない

という想いが公式ページへの掲載、という形につながっているのかもしれません。

そして何より、「アイマスらしさ」を確立し、その後はその意味では「ブレ」を起こしていない、
という事実こそが、ゼノグラシアが最もアイドルマスターに貢献したポイント
とも言えるはずです。

確かにDSは定義上は「アイマスらしさ」はなかったかもしれませんが、少なくとも「765らしさ」を
継承した展開でありました。「9.18」は明確な失敗だったのは確かでしょうが、「アイマスらしさ」
という意味においては軸をブラしたわけではなく、その意味で間違えた展開ではありませんでした。

そう考えれば、コンテンツがまだまだ若く、小さかったうちにハッキリと失敗をしたことで、
「やってはいけない事」を身を持って実感した
、このことが重要だった、ということです。

コンテンツが成熟した段階での失敗がもたらす悲劇というのは、それこそ前述の「9.18」が
証明しているわけですが、これについてはまた別のお話、ととりあえずは言えますからね。

とにかく、ゼノグラシアは確かに現在に直接何ももたらしていないように思えますが、
こうした経験こそが「アイマスらしさ」を確立し、そしてアイドルマスターをしっかりとした
ブランドとして定着させていくことにつながった、と考えれば、この展開はアイマスの歴史に
おいては間違いなく意味のあったものであり、今にもつながっていると言えるはず
です。


私にとってのXENOGLASSIA

私は360からのPであり、ちょうど発売直後にニコニコ動画にてアイマスというコンテンツと
出会ったのですが、もちろんいきなり「プロデューサー」を名乗れたわけでもありません。
最初は少しずつ「アイドルマスター」というコンテンツについて知ろうとしていて、その時期が
ちょうどこのゼノグラシアが放送開始となる時期であり、そのまま試聴することになりました。

もちろんその段階でアイマスが「アイドルの物語」であることはわかっていて、ゼノグラシアが
異色の展開をしているのはわかっていましたが、それでも「アイマス」自体への思い入れや
考え方が確立していたわけではなかったので、それほど違和感なく観ることはできました


ただ、最大の問題としては、単純にアニメ作品として面白くない、という感想がまず出てきて、
2クール目にはダレてしまった、ということが正直ありました。それでも最後の最後までちゃんと
観よう、という気持ちがあり、観終えましたが、やはり単純につまらないものでした。

その後、ニコニコ動画であり、CDであり、そして360のゲームそのものでありに深く触れていく
ことで、「あれはやっぱりおかしかった」と明確に思えるようになっていったわけですが、
恐らくはアーケードからのPが感じたであろう「失望」のようなものは感じなかった
わけです。

だからこそ、作品自体に対する恨み辛みもありませんし、前述の通り、ある意味では歴史上
必要な展開であり、「今」にしっかりと貢献してくれている、と感じられることもあります。

シンデレラのような作品を否定している私の感性からすると、完全にプロデューサーと
なった時点でこのゼノグラシアと出会っていたら、猛反発をしていたであろう
と予測ができ、
「嫌いなもの」と位置づけることにもなっていたはずで、そうならなくて良かったとも思えます。
だからその意味でも、早いうちにこの「失敗」をしてくれていて良かった、とも感じています。
「嫌いなもの」なんてものは少ないに越したことはない、これは確かですからね。

今後、たとえ「3rdVISION」になったとしても「XENOGLOSSA 2期」がお目見えする可能性は
事実上ゼロだと思いますし、こういう歴史もあったのだと、その事実だけを噛みしめて
「今」を輝くアイドル達をプロデュースしていきたい、そう思っています。
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この記事へのコメント

kage

あれ、、こういう記事には色んなサイトで活動しているゼノグラアンチが沸いてくるはずなのですが・・・
ここにはいらっしゃらないようですね。

いずれにせよ、ゼノグラの失敗を素直に受け入れ、この作品への賞賛が無意味なものであると支持者が認めるのはいつになるのやら。

失礼しました。

Posted at 13:43:36 2015/10/04 by

この記事へのコメント

kage

箱マス原理主義者の意見

私は、ゼノマスは箱マスと同じ匂いを持っていると思いますよ。私にとってアイマスらしさとはソロ曲と恋愛です。発端からしてソロ曲が中心の恋愛シミュレーションですし(春香のトゥルーエンドの内容を考えればギャルゲじゃないと言い張るのは無理があります)、信頼関係の中で育まれる恋慕こそアイマスらしさと捉えています。逆にギャルゲっぽくないアイマスはアイマスじゃないと感じます(部活のコーチみたいなP、少女漫画的なデレアニ)。オムニバス形式のギャルゲアニメじゃなければ私は納得しないですね(売れないでしょうがw)。まあゼノマスを作ったスタッフの擁護はできないですけど、個人的には神アニメが爆誕してくれて得したなと。とりあえずコンテンツが存続して765単独ライブでソロ曲さえ聴ければ何も文句は言わないかな。ちゃんみおに告られる場面とかは公式が作ってくれないので妄想するしかありませんね。

Posted at 21:54:46 2016/08/19 by

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kage


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